社会福祉法人イエス団

神戸の5つの保育園

Jesusband

法人概要

社会福祉法人イエス団・賀川記念館

社会福祉法人イエス団

イエス団は、イエスキリストの生き方に従い、その生涯を最微者(いと小さき者)のために捧げられた賀川豊彦先生(1888~1960)によって創設されました。 未来の社会を築くのは子供たちだと、保育の大切さを唱えられ、幼稚園や保育園をはじめとした児童施設や、ハンディキャップをもった人たちの福祉施設、また高齢者施設まで幅広い事業を展開し、 現在では関西圏を中心に約40の施設で活動を進めています。

キリスト教保育

イエス団では多くの子ども達の育ちに職員が携わっています。 施設が設立した歴史的な背景や立地する土地柄によって形態や活動内容は違いますが、最も大事にしているものは、キリスト精神です。
キリスト教は聖書に記される神を信仰する宗教です。キリスト教について詳しい説明はいたしませんが、私たちは 「人は神様によって創造され、神様に愛される存在である」と考えます。 それぞれの施設で生活する子ども達、保護者の皆さん、 保育者である私たちも、誰一人例外なく、 神様から命を与えられ、今日もゆたかに成長するように生かされている」と信じています。 子どもにかかわる職員―人ひとりの意識の基本にキリスト精神をおいているのがキリスト教保育だとお考えください。 子ども達やそのご家庭に信仰を押しつけようとするものではありません。
私たちイエス団の施設は、このような共通した子ども理解や保育理念をもって子ども達の育ちにかかわっています。

Toyohiko Kagawa

賀川豊彦について

賀川豊彦は1888 年賀川純一と益栄の次男として神戸に生まれました。 5歳の時に両親と死別し孤独な少年時代を送った賀川は、 7歳の時に赤痢に感染してからというもの、何度も生死をさまようなど、生涯病に苦しめられました。

1909 年12 月24日、賀川豊彦は病に蝕まれ余命いくばくもない体をかかえて、残された生涯を貧困に喘ぐ人々の救済にささげるため、 神戸のスラムに身を投じました。 その後、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動などに献身し、関東大震災が発生するや、 東京本所にて、罹災者救済やセルツメント事業に力を尽くしました。

児童福祉(教育)の分野では、幼稚園や保育園を設置して、子ども家庭支援事業を展開すると同時に、「児童虐待防止論」、「9つの子どもの権利」、 「子どもを叱らずに育てる工夫」、「幼児自然教案」などの著作活動を行い、 子どもたちに対して常に暖かなまなざしを注ぎながら 愛に基づいた事業を実践しました。 1999 年12 月には、ユニセフ国連児童基金の世界児童白書にて、賀川豊彦が「子どもの最善の利益を守るリーダー」 として、世界の52 人の一人に選ばれました。 関東大震災が発生するや、 東京本所にて、罹災者救済やセルツメント事業に力を尽くしました。

また、賀川は生涯を通じて日本と世界にキリスト教の伝道を行い、戦後は伝道のかたわら世界連邦運動を提唱し、生協運動の指導者として活躍しました。 これらの諸活動を担いながら、一方では、宗教、哲学、経済、社会、文明批評、随筆、小説等、多岐に渡る著作を発表しています。 代表作の小説「死線を越えて」は日本最初のベストセラーとなりました。 関東大震災が発生するや、 東京本所にて、罹災者救済やセルツメント事業に力を尽くしました。

賀川豊彦の事業は関西、関東を初め全国に数多くの同志を組織して展開され、その運動や事業は現在においても広範囲に渡って継続されています。

Nursing of Jesusband

イエス団の保育

子ども理解

子どもは主体的に育つ「人」です。

夢を抱いて伸び伸びと育って欲しい…。そう思う一方で、どうしても大人の言うことを聞かせようとしてしまうのが私たちです。
大人の理屈を子ども達に押し付けようとしてしまいがちになりませんか。 「大人がすべてのことを分かっていて、大人の言うことさえ聞けば間違いない」と思い込んでいると子どもをその枠の中に閉じ込めようとしてしまいます。
私たちは子どもを親の所有物とは考えません。子ども自らが主体となって育つものだと考えます。

子どもは生きる権利がある「人」です。

言うまでもなく、全ての人に生きる権利があります。特に自分の生命を自分の力だけで十分守ることの難しい子どもの生きる権利は最大限保障されなければなりません。 児童虐待という悲しい報道がしばしばされる現代日本です。社会的弱者である子ども達が生きること、人として育つこと、育てられることは権利であると私たちは考えます。

子どもは一人ひとりが違う「人」です。

人は一人として同じ人はありません。生活している環境が違いますし、家族構成も違うでしょう。顔も体格も、性格も能力も違います。 一人ひとりに神様は違いを与えて下さったのだと考えます。神様は全ての人に賜物を与えてくださっています。一つとして無駄なものやいらないものはないのです。 また同じものを見たり聞いたりしても、感じ取り方や受け取り方は違います。決してみんながみんな同じじゃないんです。一人ひとりが「違っていていい」「違っているから素晴らしい」私たちはそう考えます。

私たちの保育~キリスト教保育~

私たちは『今、在ること』に喜びと感謝を持ってほしいと願って保育しています。

いろいろな出来事や問題で、心を乱されることがありますね。子ども達もおとなや社会の影響を強く受けます。ともすれば、文句や非難だったり、要求することばかりだったり。 私たちは、まず今、自分が在ることに喜びを感じ、そのことに感謝する心を持ってほしいと願っています。 決して自分だけの力で生きられるものではありません、多くの人たちに支えられ、また神様の守りの中で私たちは生活しているのではないでしょうか。
子ども達が「生まれてきて良かった」という自己肯定感と、周囲の友達やお家の人たちに対して一緒に居てくれて「ありがとう」。
その人たちを与えてくれた神様に「ありがとう」の心が育って欲しいと願うのが私たちの保育です。

私たちは一人ひとりを大事にすることを心において保育しています。

神様は、一人ひとりのことをかけがえのない者として、この世に生を与え、愛してくださっています。お父さん、お母さん。おじいちゃん、おばあちゃん。 ご近所の人もすべて誰一人漏れることなく愛してくださっています。身体の大きい子、小さい子。足の速い子、遅い子。活発な子、物静かな子。身体や発育に課題を持った子。 どんな子も一人ひとりを神様は愛してくださっています。子ども達はもちろん保護者の皆さんや施設に関係するすべての人、一人ひとりが神様から託された大事な賜物(たまもの)として理解し接するのが私たちの保育です。

私たちはいつも一緒にいてくださる神様のことを大切にして保育しています。

園生活の中で「お祈り」や「賛美」があります。「いつも一緒にいてくださる神様」を知ってほしいのです。身近に感じてほしいのです。悲しいとき、悩んだときはもちろん嬉しいときも楽しいときも神様が一緒にいてくださる。 常に神様が見守ってくれていることへの感謝の心が育ってほしいと願うのが私たちの保育です。また自分の力にだけ頼って、ひとりよがりになりがちな私たちです。 もちろん自分を信じることは大事ですが、同時に私たちを生かしてくださっている神様を畏れ敬う心も育ってほしいと願うのが私たちの保育です。

私たちは人を愛する心が育ってほしいと願って保育しています。

人と人が関わる社会で生きる中で、どのように人と接するべきなのか。人と人との関係作りが難しくなりました。そのことをめぐっての社会的な事案や問題が注目されるようになりました。 こんな時代だからこそ、子ども達がたくさんの人たちに愛されていることを知って、もちろん神様に愛されていることを知って、いつか大人になる時に、人を愛し、人の営む社会を愛する人になってほしい、 人の痛みを分かる人になってほしい。平和を求める人になってほしい。
そして愛する勇気を持った人になってほしいと願うのが私たちの保育です。